ベティ・ライト Betty Wright
2020.06.25
2003年に、当時16歳だったイギリスのジョス・ストーンがデビュー作のミニ・アルバム『ザ・ソウル・セッションズ』を出しました。タイトルから好奇心をそそられ、聞いてみたら本格的なソウル・シンガーの素質があるので驚きましたが、クレジットを眺めたらヴォーカルのコーチとしてベティ・ライトの名前が並んでいたのです。
とても懐かしい感じがしました。そのベティ・ライトも10代でヒット曲に恵まれましたが、それはぼくが大学生の頃、1971年でした。「クリーン・アップ・ウマン」というタイトルは一見掃除のおばちゃんのような印象ですが、これは比喩として使っていて、他の女がおろそかにした男たちを私は「片づけて」自分のものにするというすごくキャッチーで、しかも軽く弾むファンキーで踊りたくなるサウンドでした。ずいぶん大人っぽいテーマなのに、録音の時に彼女はまだ17歳でした。
ベティはマイアミの出身で、ちょうど彼女がデビューした頃「マイアミ・サウンド」と呼ばれるようになった明るくてダンサブルなソウル・ミュージックのヒットが次々と出ました。ニュー・オーリンズのアラン・トゥーサントが作曲した「シューラー・シューラー」もそのサウンドの代表的な曲のひとつでした。それと同じアルバムに入っていた「ウエア・イズ・ザ・ラヴ」はディスコに近いビートで、変わりゆく時代を思わせるものがあります。その一つ前のアルバム『Hard To Stop』のジャケットには一度見たら二度と忘れることがないヘア・スタイルのベティが写っています。
ソウルの時代が過ぎた後も時々話題になることがありました。80年代後半には、すでにヒップ・ホップの時代ではありましたが、彼女の「No Pain (No Gain)」(苦労しなければ得るものはない)という素晴らしいミーディアム調の曲がヒットしました。曲の後半でびっくりするような高い音を何度も出すところがあって、しかもその音程の正確さもすごい。2012年に彼女が東京のビルボード・ライヴに出演した時に見に行きましたが、すでに60歳に近いベティは声の衰えを全く感じさせず、犬にしか聞こえないんじゃないかと思うような声を発していました。
彼女を慕う若い世代のミュージシャンが多く、ジョス・ストーンの他にビヨンセなどのコーチングをしたのですが、ベティ自身のレコードをサンプリングのネタにするヒップ・ホップ世代の人たちも少なくないのです。またザ・ルーツとの共同名義で2011年に出したアルバム「Betty Wright: The Movie」も高い評価を得ました。
そのベティ・ライトは残念なことについ先日、66歳の若さ(少なくともぼくより若い…)で亡くなりました。ぜひ彼女の素晴らしい歌を聞いてみてください。
現在フリーのブロードキャスターとして活動、「バラカン・ビート」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「ライフスタイル・ミュージアム」(東京FM)、「ジャパノロジー・プラス」(NHK BS1)などを担当。
著書に『ロックの英詞を読む〜世界を変える歌』(集英社インターナショナル)、『ラジオのこちら側』(岩波新書)『わが青春のサウンドトラック』(光文社文庫)、『ピーター・バラカン音楽日記』(集英社インターナショナル)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ぼくが愛するロック 名盤240』(講談社+α文庫)、『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)、『猿はマンキ、お金はマニ』(NHK出版)などがある。
2014年から小規模の都市型音楽フェスティヴァルLive Magic(https://www.livemagic.jp/ )のキュレイターを務める。