我らが地元の映画祭!! 東京国際映画祭。
2020.03.28
毎年10月末に開催される東京国際映画祭も、私にとっては大変重要な映画祭です。仕事場や自宅から電車で行ける六本木で、世界各地から日本未公開の新作がまとめて、しかもどの作品も日本語字幕付きで見られるのですから、私のような映画館の番組選定者にとって、これほど便利でありがたいことはありません。ここで上映された後に、私が働くシアター・イメージフォーラムで劇場公開された作品が、今までいくつもあります。
六本木ヒルズの高待ち合わせスポット、ルイーズ・ブルジョアの「ママン」
私が個人的に印象に残っているのは、例えばスペインのホセ・ルイス・ゲリン監督のシンプルかつ豊かな名作『シルビアのいる街で』(http://www.eiganokuni.com/sylvia/index2.html)。この作品は、2008年の東京国際映画祭で上映後に翌年当劇場で公開されてスマッシュ・ヒットしました。その後この監督をスペインから呼んで特集上映までに行い、それもお客さんで大変賑わったという幸せな記憶があります。その他にもこの映画祭を端緒に、当館での劇場公開まで政治的に大騒ぎが続いたドキュメンタリー『ザ・コーヴ』など色々思い出はありますが…。
世界の映画祭に参加してみて、いろいろなタイプの映画祭が、それぞれの目的をもって存在していることを目の当たりにして来ました。私が参加してきた映画祭の中で、東京国際映画祭ほど、この「映画祭の目的」を指し示す大看板を掲げることに苦労している映画祭は無いように思います。
日本では映画を「文化・芸術作品」としてよりは、「商品」として見る傾向がヨーロッパなどに比べて強いです。東京国際映画祭は、そのような日本の文化的土壌に、映画を芸術表現とみなすヨーロッパの「映画祭文化」がなかなかハマっていない。
何せ運営の中心が、まさに映画を「商品」としてしかほぼ見ていない日本のメジャー映画会社。そのギャップが、映画祭をチグハグなものにしていて、よく分からなくしてしまっているような。
そこをどう変えていくか…という問題は、それはもう日本の映画文化——ひいては日本文化全体の問題という大きな話になってくるので、ここでは置いておきますが、読者の皆さんはご存知でしょうか。この映画祭は誰でも参加できるということを。一度行ってみることを強烈にお勧めします。
六本木近辺には森美術館など現代美術の展示会場も多数あり、そこを目的にもよく訪れます。写真はギャラリーWAKO WORKS OF ART入り口
上映作品をチェックしてみても、知らない国の知らない人が作った映画だらけだと思いますが、むしろそういう作品ほど思い切って観てみてはどうでしょう。かえって大きな衝撃を受けたりして、それが面白かったりします。まさにそうした出遭いこそが映画祭の醍醐味。映画祭では、その機会を逃すともう二度と見られない貴重な作品がたくさん上映されています。
どの映画祭もその「顔」といえば、コンペティション部門です。カンヌ映画祭のパルムドールやグランプリとかヴェネチア金獅子賞など、聞き覚えがある方もいると思います。映画祭においてメイン賞の対象作品を上映する部門です。
今年はそのコンペティション部門をいくつか中心に観てみました。東京国際映画祭のコンペ部門は、先行する欧米の有名映画祭が、その年の話題作や秀作をすでに選んで上映してしまった後の10月開催ということで、なかなか派手な作品が集まりにくい。
でも作品を何本か観てみれば、結構面白い作品が選ばれています。
例えばウクライナ映画の『アトランティス』。ウクライナとロシアのまさに現在進行形の戦争の「戦後」を舞台にするという、政治的に難しい題材に果敢に挑戦した近未来SF映画で、戦争のおかげで起きた環境汚染と、人間の心に刻まれたトラウマという「傷」を、荒涼とした風景に重ねて描き出します。映画の終わりの方で、人々の荒んだ心に温かみがほんのりと秘めらていることが意外な形で示され、それまでぶっきらぼうでモノトーンな印象だった映画が一転して饒舌なものへと転換する展開に大変引き込まれ、その大胆な表現に感服しました。
「アトランティス」ヴァレンティン・ヴァシャノヴィチ監督
すでに評価を得ている作家ではなく、この『アトランティス』の監督のような、名前を初めて聞くような作家が、こうした現在進行形の問題を自分独自の表現で作品に落とし込んでいるのを目の当たりにし、これは他のコンペ作品も、もっと観なければ!! と思わされました。まだ先の話ではありますが、私もまた今年通いたいと思いますので、みなさんも是非、1、2本だけでも作品を観に行ってください!
六本木に来たら香妃苑の絶品鳥そばを食べないわけにはいきますまい。