hair.jp

Instagram Twitter facebook
つぎのわたしを探す

SPECIAL CONTENTSスペシャルコンテンツ

コラム > 映画は続くよトラベローグ > チョンジュでランウェイを歩く
映画
5

チョンジュでランウェイを歩く

2019.08.24

今年のゴールデンウィークは、韓国南部で開催されるチョンジュ国際映画祭に審査員として参加してきました。韓国の映画祭では、アジア最大の映画祭とも言われているプサンが有名ですが、チョンジュはアート映画中心の渋いセレクションで、世界的にも注目度を増してきている映画祭。今年で20回目の開催となります。上映される作品はかなりコアなものが多く、地味なイメージを勝手に持っていたのですが、今回初めて参加してみてその華やかさに驚きました。まずオープニングからしてド派手! 私もフォトコール後、長い長いレッドカーペットのランウェイを、スポットライト浴び歩きました!! 観客からしたらこれ誰? って感じだったでしょうが、NETPAC部門というアジアの批評家連盟が与える賞の審査員としての参加だったので、ランウェイ歩きは必須だったのです。


チョンジュ市街通称「シネマ通り」

 
レッドカーペット前のフォトコール

韓国は結構好きな国で、それは映画や料理によるところはもちろんなのですが、なんか日本と色々なことが良く似ていているんだけど、微妙に少しずつ違うところが面白い。人々も顔つきや表情が似ているし、言葉が通じなくても雰囲気で通じ合えるような感覚が何となくある。

逆に、これは日本と違うなあと思うのは韓国人の物事を進めるペース配分。一緒に仕事をしたりするとよく分かります。例えば、日本人にとって資料作りや打ち合わせなどの準備はものすごく大事なのですが、韓国人はそれを全く重要視しない。ギリギリになるまで準備をしない。で、いよいよヤバいんじゃない? という段階になって、信じられないくらいの爆発力で物事を進める。日本式も韓国式も、それぞれ一長一短なのですが、物事へのアプローチがはっきり違うので、これは一体何なんだろうと興味深く感じています。


NETPAC審査員の面々、審査会議前

今回も、そのようなことを感じさせる出来事が、審査員として参加した授賞式でありました。授賞式は、チョンジュ市長のスピーチがあったり、マスコミも来場していたりしてかなりオフィシャルな雰囲気。日本人の感覚からすると、打ち合わせとリハーサルは必須。式の段取りを確認しないで、授賞セレモニーを敢行するなんてあり得ません。

しかし、我々が授賞式会場に着いても、打ち合わせや説明は一切無し。審査員が何をすればいいのか、全く指示がありません。大丈夫…? と不安に思っていたらセレモニーがスタート。しかし、意外なことに全く問題は無く、スムーズに事が進行していきます。それで我々の出番になり、名前が呼ばれ、ステージに登壇することに。


ジョンジュ名物ビビンバはとても豪華

何も聞いていないよ…と不安でいっぱいでしたが、このステージ上にいた、花束嬢的なお姉さんがすごかった。満面の笑みを観客に向けながら、我々の耳元で「はい、そこ立って」「はい、花束渡して」「にっこりとカメラを見て」と怒濤の指示。本人も記念写真に写るのでシャッターが切られるその瞬間は完璧な笑顔。客席にいる時は気づかなかったけど、この人の個人的な能力の高さのおかげで、セレモニーが回っていたのでした。

すごいなあ、と思う反面、このお姉さんへのプレッシャーは半端ないんだろうなとも。集中力で最終局面を一気に乗り切るこの方式は、効率的にも見えますが、一方で個人にかかる負担は大きそう。なんか日本の綿密準備方式の方が結果的には楽そうだな…などと授賞式に参加しながら色々と考えたりしていました。

 
オープニング会場、セレモニ開始前

映画の話もしなければいけません。社会的問題や政治性を作品に取り込みながら、エンタテインメントへと昇華するというのは、韓国映画の評判として今や一般的に定着していると言えるでしょう。

チョンジュで上映される作品は、アート性の高いものが多いのですが、私が観た韓国映画も、低予算ながらそのような挑戦をしているものがありました。特に印象に残ったのは『社会生活』というイ・セデ監督のデビュー作品です。

主人公は、ある地方企業の中間管理職の男性。ある日、本社から左遷されてきた女性社員が自分の部下として配属される。上司に呼び出され、「2週間以内に引導を渡してね」と彼女を退職に追い込むことを命令される……。接してみれば真面目で仕事もできる女性社員を、理由もわからず辞めさせなければいけない男性の苦悩。企業社会の個人に対する横暴が、この男性社員の視点を通してミニマルに淡々とした調子で描かれる。特にずば抜けてすごいことが描かれるわけではないのですが、こうした厳しい題材でさえ商業映画として成立させてしまうのか、と妙に心に残った作品でした。こうした現実がきっと韓国の企業社会に実際あるのでしょうが、それを敢えて正面から題材に据えた劇映画を作る、韓国映画の幅広さと底力に感心しました。

映画祭でその国の映画を見ると、その社会がよく見えてきたりする。それも貴重な体験です。授賞式での経験と、上記の映画によって、韓国社会に生きる個人が、一見パワーに溢れているように見えながら、厳しい状況に置かれているということを感じられたように思いました。

 

Share it ! LINE Facebook Twitter Mail

よく読まれている記事

SPECIAL CONTENTS

Page top